光

鶏口となるも牛後となるなかれ

鶏口となるも牛後となるなかれ

 

この言葉は今の時代には本当にしっくりくる。

この言葉は史記の蘇秦列伝が原文だとされている。

書かれたのは紀元前300年ほどの頃。

 

とりあえず大企業に入っておいたら将来安泰・・という時代は歴史上で見るとほんの一瞬のことだなあと思うと、感慨深い。

今や、名立たる大企業で事実上のリストラが行われている。

恐らく、その現実をまだ認識していない人もいるだろう。

正直、世の中には情報弱者の方が多い。

情報というものは自ら自分の元にやってきてくれるものではない。

自分で必要な情報は取りに行かなければいけないのだ。

そしてその情報弱者の人によって、大学などの高等教育機関は存続されていくのだ。

 

必要な教育機関は必須だ。しかし、過半数が不要の機関である。その不要機関に税金が投入されている現実を見ていると、やはり日本という国の衰退を感じざるを得ない。

これから進学を考えている高校生にはしっかりと現実を受け止め、自分が学びたいもの、やりたいことをするために果たして本当に進学は必要条件なのだろうかということを再度考えてもらいたいと思う。

 

話はかなり脱線したが、今回お話したいことは、鶏口牛後の話である。

意味は皆さんご存知の通り、大きな集団の下で働くくらいなら小さな集団のトップであれという意味である。

 

私にはこの言葉の本当の意味を理解するために、やはり社会人としての経験が必要だったと感じている。

 

誰かの下で働くことは大変かもしれない。たとえ怒られることはあったとしても、何か自分の立場が危うくなったり、身銭を切らなければいけない状況に陥ることは恐らくないだろう。つまり最終の責任を自分でとる必要はないということだ。もし、責任をとらなければいけない状況になったとしてもその職場を離れる以上のことは何も求められないだろう。

また大きい集団の中で働くと自分の仕事内容が決められていて、ひとつのことには長けているけれども結局それだけの人になってしまうというデメリットがある。つまり経験者・即戦力としての転職をしたければ同じ仕事内容でなければいけないという難点がある。

 

それに比べて小さい集団で働くとどうだろうか。

若いうちから責任者として扱われたり、自分が携わったことのないプロジェクトにかかわることもできる。仕事内容も多岐にわたり多くの経験ができる。

それの専門として雇われている訳でもないので万一うまくいかなかったとしても社長にも受け入れてもらいやすいだろう。何よりも独立した際には自分で全てのことをしなければならない。そのためには何でも自分で行わなければならない所で仕事をすることがどれだけ価値のあることかは言うまでもない。

小さな集団で多様な経験を積むことで他にはない経験を持った人へと成長し、キャリア面で唯一無二の人間になれる訳である。

 

今回その鶏口牛後を体験するために仕事を変えるとなるとさすがに大それたことになってしまうので、もっと簡単にできることを推奨したいと思う。

小さな集団で何かをまとめるとなれば、学生であれば、学校のイベントの責任者として活動してみたり、大人であればPTAや地域団体の責任者とやってみるといいだろう。

例えばお子さんのいる方であれば、PTAの役員だったりだ。時間を取られることに嫌気がさすかもしれない。

 

しかし、私の中で、そういう役に当たったときも必ず精一杯、行動するという決心はいつだってできている。

必ずそのような役割に当たれば、精一杯行うし、自分の能力を初めに提示するようにしている。

こういったことが得意です・〇〇に関しては自信があるので私がやりますなど、です。

なぜそのように行動するのか。

それは、その役割をすることによって得られるもの・本当の価値をわかっているからである。

 

それを理解するためにも数年間かかったと思う。

もし、PTAの役割をめんどくさいなと思っている人がいたらはっきり言おう。めんどくさいと思って嫌々やっていてはあなたにとって少しの成長もない。

どんな物事にも必ず期限はある。一生自分に付きまとうものでもなんでもない。何ごともその時にやり切った人の勝ちだ。

 

以下、私が保育園の保護者会の会長を務めた年の最後に書いた作文である。

これから何かの役を担う方、もしくは、文章を書かなければいけないときの参考になればと思う。

※固有名詞は〇〇という形で変更しております。

 

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新年度になる前に

 

年度終わりというものは一つの大きな節目であり、自身を振り返るのには素晴らしい機会であります。小学生になると学期ごとに成績を持ち帰り、親からの評価まで受けている子どもたちを見ると、大人も自身の一年を慮るのは尚更のこと。

 

さあ、〇〇文集のこの部分を読まれるのはどんな方だろうかと考えると、保育園でのことを自分事として考えずに、自由気ままに過ごしてきた自分を反省せざるを得ない。恥ずかしながら、今回の作文にあたり、私は初めて過去の会長の文章を拝読した訳である。にも拘わらず、このような稚拙な文章になってしまったことを先にお詫びさせて頂きたい。

 

計八年間、私は〇〇保育園の保護者でありました。

その内の六年間は何の活動もしませんでした。本音を言いますと、当時はこのまま何もせずに過ごそうと思っておりましたが、七年目にクラス役員をしたことにより、保護者会の役割や存在意義、過去に尽力されてきた方々の存在を知り、一層に自身の怠惰を思い知らされました。そして、少しでも今までの分を取り戻したいという一心で保護者会長をさせて頂きました。

 

人それぞれ、仕事・家庭、その他のことで、どうしようもない時があるでしょう。そんな時は何も手伝う必要はありません。皆、自身のことを優先に行動するべきです。

しかし、今なら大丈夫かもしれない。そう思ったならば、迷わず手を挙げましょう。

今まで何もしていなかったから、今更 と思う方もいらっしゃるかもしれません。私もそう思っていました。でもそんな人でも保護者会役員になれる、そんな保護者会であって欲しいと切に願います。実際にそういう私を許容して下さったのですから。

 

さて、今、〇〇線の道路開通が目前に控えています。保護者会役員・四役の中でも議題となり、地域の方からのお話なども含めて話し合いを重ねてきました。保護者会として勿論、今の〇〇保育園の子どもたちだけではなく、これから通われる子どもたちの安全も守りたい気持ちでいっぱいです。交通量の増加による事故の心配や大気汚染など、懸念されることは多くありますが、肝心の私たち自身はどうなのかと。他の人に対して、ああして欲しい、こうして欲しいと希望ばかり言いながら、自らの体制を変えようとしないのはどうだろうかと深く考えさせられます。やはり、子どもたちのことを守るのは親です。4月からの変化をしっかり意識し、安全最優先の日々を送れるようにと願っています。

 

つまり、冒頭から一貫して申しておりますのは、自身を振り返ること。

相手に何かを求める前に、必ず自分自身を振り返ること。

それをするのに年度終わりというのは、いい時なのではないかと考えているのです。

 

最後になりましたが、こんな私を会長に担ぎ上げて下さった前役員の方々、そして、私から出てくるボロを拾い上げては気付かぬ間に解決に導いて下さる四役の方々。仕事を抱えながら、決して義務ではない役を買って出られた皆様には、尊敬の念を抱きます。

また、自由奔放な保護者会に場所を提供してくださる先生方、色々な局面で相談にのって下さる園長。職員皆様のおかげでこの〇〇保育園保護者会は活発な活動を続けられるのであります。

子育てを通して悩んだり、考えたり。そんな保護者を見ては、俯瞰し、助言してくださる園長。

どうやら、私たち保護者も園長に育てられている、そんな気がするのです。

 

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いかがだったでしょうか。

仕事をしながら子育てをし、確かに時間的な制約は厳しかったかもしれません。

その中で、子どもたちが初めて親に与えてくれる人間関係が、まさに保育園での親のつながりでした。

私自身も大人数で仲良くどこかに遊びにいったりなどすることはそんなに得意ではありません。

 

しかしこのような活動からつながるものもたくさんありました。

実際に私自身の価値観・人生が豊かになったと感じています。

 

自分が社会の一部として役割を担える存在であることに喜びを感じると同時に、今までその行動を繋げてきてくれた過去の人々の活動を知ると、自分だけは何もしたくないというような、そんな感情は一瞬で消え去るでしょう。

 

自分の子どもがみんなから〇〇委員になってほしいと言われて、めんどくさいなあと言っていたらどう思いますか?

授業中、わからにないところを聞けないでいたらどう思いますか?

 

自分の行動で子どもたちに示すことが一番の教育であると、私は信じています。

 

教育とは

共に成長すること。

その根幹にある考え方は、人生を通して全くブレない。全てはそこにつながっています。

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