TVいらない

TVは誰のためにあるのか

職業柄、毎日の英会話レッスンを受けているのだが、こういうグローバルに何かが起こっているときほど、彼らとコミュニケーションをとっていることに価値を感じる。

日本にいるとアメリカという国に関する情報が多くなる。関係性が強いからである。

それでは他国の状態はどのようなものなのか。

外出規制や今の状況はどのような感じなのか?

そうなったときに外国で仕事をしている友人の話を聞いてみたりすると、日本政府の判断などを冷静に見つめることができるだろう。

相手に日本の状況を伝えるために日本の現状を知ろうと思い、久しぶりにネットニュースなどを見ていると、本当にどうでもいい情報に溢れていた。見る価値がないものばかりだ。

では、なぜそのような内容のものをTVで流すのだろうか

では、TVを見ている人というのはどういった人であろうか。

まず、会社に行って仕事をしている人にとっては、日中の番組など見る機会はないだろう。ワイドショーを見てくれるのはお年寄りか主婦の方だけになる。

何か自分で行動を起こし、勉強をしたりしている人にとって、TVというものは時間の無駄以外の何物でもない。

たとえその無駄な情報の中に自分の知りたい情報があったとしても何時からその情報に関することが放送されるのかの正確なピンポイントの時間がわからないため、無駄な時間が発生してしまうのである。実際にそれはより長時間視聴者に番組を見てほしいという局の目論見の一つである。

つまり、明らかに自分でネット上で検索をしたほうが短時間で情報にコミットすることができるのだ。

私たちは限られた時間の中で生活をしているのだ。

近頃、あのバイアスの塊のようなTVという四角い箱を捨てるときがきたのではないかと思っている。

まさか。と思うかもしれないが、実際に数十年単位で私たちはラジオというものからテレビというものにシフトしてきたではないか。

そのパラダイムシフトが起こるべき時がやってきたのではないかと思っている。

中には家に帰るとなんだかさみしいからTVをつけてしまうという人もいるだろう。

今は家に帰ると、「ねえ Google ただいま」というだけでゆったりとした音楽を鳴らしてくれる。運動をするときには「5分のタイマーかけて」というと、時間を教えてくれる。「おやすみ」と声をかけると明日の天気を言った後にアラームの時間を聞いてくれる。そして心地いいサウンドを流してくれるのだ。

そんな生活の中にTVがでてくるときなどない。

我が家には1台だけTVがある。大きくもないTVだ。ただ、吉本新喜劇と娘たちが見るアニメを撮るためだけのものだ。

自動的にとってくれるし、こっちはTVを見ないため、かなりの場所をとってはいるが今のところ許容範囲である。

しかし、大きさの割には行っている仕事量が少ないようには感じてしまうが。

あの箱を早く捨てなければと思うが、吉本新喜劇のためなら、仕方ないかと思うのである。