勉強を好きになる

成長を愉しむ

成長というものは、大人になるにしたがって感じづらくなっている。

こどもの頃は、逆上がりができるようになったり、自転車にのれるようになったりと目に見える成長を感じることができただろう。

さらには、身長だって伸びていき次第に大人に近づいているということを実感しやすいだろう。

しかし、大人になると、外観の成長はあまり感じられない。

(人によっては体を鍛えたりすることによってそれを感じることができるようにし、メンタルを整えることもできるだろう。運動が私たちにもたらす効果は計り知れないものだと思う。)

中学生をピークに高校生くらいになると少しずつ運動の機会も少なくなり、運動面での成長も感じられなくなる。身長もある程度伸びてしまって、身体的成長ももう感じられない。

そこから、見えないものの成長が始まっていくのである。

知能というものもその一つである。

それを学校の成績で判断しがちだが、それだけで判断できるものでもない。成長を感じるためにすべてのものをvisibleにしようとするのだ。

しかし、大切なものは往々にしてinvisibleなのである。

relationship, love , kindness etc

見えるものだけを信じているのは悲しいことである。

自分も教育関係のはしくれであるが故に、生徒たちを、勉強という定規で測ろうとしてしまうときがある。

私がいつもいうことがある。

自分の生徒にこんなことを言うと良くないかもしれない。

でも私の思っていることだから言う。

もし、みんなが今回のテスト、ちゃんと勉強できていないなと感じるくらい勉強が足りていないのならば、悪い点を取ったほうがいいと思っている

勉強やってないのに点数とれたらそっちのほうがおかしいよ。

私はテストの点数でその子の努力を評価したいとは思わない。

勉強をしたか、していないか。それではかりたいと思っている。

自分の成長は、自分が一番に気づいてあげてほしい。昨日より今日は10分長く勉強できた。それでいい。明日は今日よりも、とより高みを目指してほしい。

もっと目に見えない成長と遂げてほしい。それがinvisibleであろうとも、自分だけはわかっているはずだから。

自分のことを一番に信じなければいけないのは、紛れもなく自分自身だから。