哲学

咲ける場所へ移動することの重要性

昔、おかれた場所で咲きなさいという本が流行ったことがあった。

それも、会社の社長が気にいっているような印象。

いざ、自分で独立してみると、確かに、会社の社長目線でみれば、好都合な内容であるため、なんだか、滑稽だなと思うのだ。

確かにおかれた場所で咲いてほしいのだろう。会社目線でみると。

しかし、こんな一度しかない人生の大事な時間をおかれた場所で咲いてみるために使ってしまっていいのだろうか。

あの本がベストセラーになったのは間違いなく、会社の社長の好都合な内容をそれっぽく、日本の古き良きイメージを出しながら、生々しさを出さずに代弁してくれている本であるからであろう。

確かにおかれた場所で努力をしない人はいつになっても努力をしないものである。

しかし多くの場合、自分に向いていない仕事、苦手な仕事、嫌な仕事を何年間も続けている人がほとんどではないかと思うのだ。

何か新たな情報を得た時には、何を目的にして書かれたのかを考えなければならない。

その発言をしている人が言っていることを聞くのではなく、その発言の動機にいつも関心を抱いていないといけないのだ。

一度立ち止まって、今自分がいる場所は間違っていないかどうか、確認する必要がある。