自分の住む地域で働くということ

地域意識を持ったことは正直、なかった。

別に自分の生まれ育った地域も特段、他の地域よりもいいと思ったこともなければ、悪いと思ったこともない。

とは言ってもそこまで広い範囲で家を探そうと思ったこともない。

私が地域を意識し始めたのは子どもが保育園にいる時だった。

家から近いという理由で通うことになった保育園に対して、出逢った方々との関係を鑑みた時であった。

こんな言い方をしたら失礼だとは思うが、そこで出会った方たちは、「出逢わなくても良かった人たち」だからである。

仕事で関わっているわけでもなく、元から友達なわけでもない。

長時間、同じ目的のために努力しあった仲間でもない。

しかし、わが子が初めて親に与えてくれる人間関係であると思うと、大切にしなければいけないと思うものだ。

そして子どもが保育園を卒園してからその地域で塾を始めることにした。

自分が住んでいるこの地域がよくなるために自分ができることは何だろうかと思い始めたのが学習塾だった。

塾というのは子どもがいるから行くものであるという概念をとっぱらいたいと思い、始めたのが図書館という役割であった。

図書館として動くことで、応援して下さる方々の温かい気持ちが何よりもの喜びである。

読み終えた本を塾に寄付して下さる方がいらっしゃることで、地域の方に支えられるこの塾の存在を私は誇りに思う。

塾の生徒のために何かをしてもらえるというのは自分で本を生徒のために購入している時も、勿論わくわくするものだが、それとはまったく違う、とても暖かい気持ちになってくる。

新たな塾の形を提供しながら、生徒の指導をしっかりと続けていきたいと心に思った。

何かを始めるにおいても、「もう遅いかな」という言葉を口にする人が多い気がする。

そりゃ、早くから始める人と比べれば、そういう言葉になるかもしれない。

しかし自分自身が始めようと思ったのが今なのだから、今が一番早い時である。

そうやってまた、1年後にもう遅いかなと同じことをつぶやくわけである。

人生で何かをするのに遅いということは決してない。

自分がやろうと思ったその瞬間が始まりの時なのだ。

夢中になっているなんて、そんな冷静な気持ちを持っている間はまだ夢中になれていないのだ。

時間を忘れ、食べることも忘れ。

そんな時を過ごしながら少しでも多くの学生さんに学習の機会を提供できればと日々努力を続けている。

こんな自分に賛同してくれる人がいてくださることが何よりもありがたいと感じる日々である。