夏休みの宿題で読書感想文など色々な宿題はある中で、私もこの夏、一つ、レポートの提出をした。
今日結果が返ってきて、36点中、34点というまずまずの結果。
授業内容としては宗教学。
自分の捉え方、新たな切り口に関して、採点者の共感を得られただけで自分としては大きな学びがあった。
毎日行うことでも少しだけその時の感覚が違うだけで自分の中から出てくる言葉は違っていて、語尾や言葉のニュアンスも変わってくる。
塾講師をしながら何かを学び続けることは私にとって幸せ以外のなにものでもない。
生徒があれだけたくさんの科目を勉強しているのにもかかわらず、自分自身は一つの科目に全てをかけると言いながらも中途半端な大人を見るたびに嫌気がさす。
何か一つに集中することは勿論悪くない。しかし今まで私が出会ってきた人の中で何か一つ、ずば抜けている人はその点と点を繋ぐために間にある勉強を常に行っている。
学問の領域に縛られている様子を見ると、ただただかっこ悪い。
家庭科の宿題をする生徒に向かって、まあ適当にといいながらも、その感覚は、決して副教科だからやらなくてもいいという感覚ではない。
全部自分との比較だ。
私も家に帰って適当にごはんを作っている。
適当に家庭科やっているよという感覚だ。
体育の宿題があると聞くと私もストレッチしなきゃなという感覚である。
この感覚を持ち合わせている塾講師は少ない。
それは、自分の領域を決めてしまっているからだ。
自分の判断と怠惰によってその範囲を狭めているに過ぎない。
生徒の宿題の中で自分の担当している科目だけを押し通すのはあまりにも傲慢だ。
全て合計で判断するのが学校であり、判断されるのが生徒だ。
自分は大人だから、〇〇の科目の講師だからなんて、そんなこと言っている時点で自分が努力しない人だと言っているのと同じ。
だから私はこの夏、レポートを仕上げ提出することにした。
夏休みの間、塾は忙しいかもしれない。
忙しいというの自分が決めた基準だ。
この数ある仕事の中で自分で選択した仕事が忙しいからといって勉強をしない大人からは何も学べない。
いつまでも勉強においてチャレンジし続けたいと思う。
大人は子どもと同じ感覚でしっかりと見なければいけないと日々思う。