粘り強さ。
勉強するのにないが必要かと言われれば、これに尽きると思う。
小学校の頃、中学の頃に4科目・5科目の勉強をする。
その時になぜこんなにしなくてはいけないのかと思っている学生もいるだろう。しかし、そこには確固たる理由があると考えている。
仕事をしていく上でもちろん苦手なことがあったり嫌いなことがあったりするだろう。しかし少しだけやってみようと思えるか思えないか。そこには天地の差があると思う。
何かをする時に平気ですぐにわからないという。
大切なのは、そこに、「わかりたい」という気持ちがあるかないかということだ。
やらされているものに対して、わからないと言っておけば答えを教えてもらえるだろう。そんな気持ちでいるなら、厳しいようだが、一生勉強ができるようにはならない。
勉強というのは知の追求であり、知りたい・理解したい。その気持ちであると考える。
この歳になってもまだ勉強したいという意欲は、間違いなく知りたいという気持ちからである。
苦手なもののプロになってほしいと思ってはいない。
ただ、苦手なものに対しても、少しやってみようと思える、その粘り気がない人は成長できないと思う。
どんな状況に置かれても、正当な理由がない限りは必ずやる。
やらない理由はあるけれども、やれない理由はどこにもない。
これからも自分にできることの幅を少しずつひろげていきたいと思う。
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