大志を抱く

正解はない。最適解があるだけ。

色々な物事に正解を求めようとする人が多いように思う。

何か自分にとって不都合なことが起こると、それを他人に求めてしまうこともあるかもしれない。

不都合というものは往々にして、自分の勘違いから始まるものである。

自分が何か相手に対して、イライラしている時というものは、意外と自分が悪いことが多いのではないかと、近頃よく思うものだ。

自分が不都合の原因ではないときはイライラするということはなく、もっと冷静さを持ち合わせているものだ。

自分が何かをする時に、そこには今自分にはまだ見えない正解があると思い込んでいる人がいる。

それを誰かに求める時があるかもしれない。

しかし。もしその正解であったはずのものが思わぬものによって正解でなくなってしまった時にどう思うだろうか。

相手が専門家であろうともなんであろうとも、どんなものにも正解なんてものは存在しない。

そこには最適解はあるだけであり、どれを選ぶかは、まさに自分自身が決められるものであり、どういう結果に終わったとしても自分自身が責任を取るものである。

残念ながらそういう人はほかの人よりも感情に振り回され、一時的には何か得をした気分になっているかもしれないが、大局観がない。

正解を他人の中に求めている時点で自分の人生を歩んでいるわけではないのだ。

私たちはその瞬間に自分の人生を全て決めなければならないような大きな決断を日々行っているわけではない。

多くの場合、過去に決めたことを今日も軌道修正をして微調整をしながら日々を過ごしているのだ。

大きな決断を人に委ねる、他人の人生を生きている間は、責任も少ない分、得られるものも少ないだろう。

自分にしか、自分の決断はできないし、自分にしか、軌道修正も方向転換の判断と到底なしえないと私は考えている。

正解を探し続けている人を見ると、地面を見つめながら歩き続けている人のように思える。

もっと前を向いた方がいいと思う。