何かを始める時、もしくは、何かを理解しようとしている時、私が一番大事にしていることはそれにかかわった人の存在を理解することである。
例えば、何か複雑な問題に出くわした時に、試験の最中であれば時間的な制限があるため、ゆっくり考えることは困難であるが、練習をしている時であれば時間をかけて行うことが必要である。
問題作成者というものは必ずその問題に何かメッセージを込めるものである。それが入試問題ならなおさら。
その学校の顔と言っても過言ではないと思う。
この内容を伝えたい。こういう姿勢で問題に取り組んで欲しい。
その気持ちを理解することが問題を理解するには一番の道であると考える。
多くの場合、問題を解くことに夢中になりすぎているように思える。
特に小学生が国語の文章問題を解く際にはその様子が顕著に現れる。
問題の内容が、文中から五字で書き抜きなさいとあった時、文章から五文字を探そうとするものだ。
それが低学年の間は対象となる五文字があまりにも目立っていて、いいのか悪いのか、当たってしまうのだ。
その解き方で取り組んでいる小学生が5年生になった頃に全く関係のない文字数だけが合っている言葉を解答用紙に平気で書き抜くのだ。
数学の問題にしても理科の問題にしても、国語の問題にしても。
必ずそこには問題を作った専門家が存在するはず。
その人がどういった視点で、どういう気持ちで問題を作ったのか。
果たしてこの文章から何を読み取ってほしいのか。
また、この問題を解くことによって、どういう思考力を身につけてほしいと思っているのか。
必ず問題にはそのメッセージが込められている。
そのメッセージを読み取るためには。まず、そこにいる生身の人間の存在に気づかなければならないと、私は考える。
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