一切皆苦という言葉を聞いたことがあるだろうか。
仏教の教えである「一切皆苦」は、「私たちが生きる世界は自分の思い通りにならない」という真理を説いた仏教用語である。
一切皆苦の「苦」とは、ただ単に苦しい意味を指しているのではなく「思い通りにならない」意味を指しています。
その思い通りにならない事柄をどのように捉えていくかを説いているのが仏教の教えである。
根幹は、「全てを受け入れる」ことである。
人に比べて自分は、、など思うことはあるだろう。
その不確実性の中にこそ可能性があるということである。
この苦しみを取り除きたい、この悩みをなくしたいと思っても、その中にはなくせるものもあるだろうけれども、中にはどうしようもないこともあるだろう。
今まだそれに直面していなかったとしてもいずれどこかで直面する可能性も考えられる。
しかし、歴史は教えてくれる。
ピンチこそチャンスであり、悩みがあるからこそ、他人の悩みに気づけるものである。
そこにこそ自分の生きる意味、なすべきことがあるのではないだろうか。
全てを受け入れる強さなど誰も持ち合わせてはいないだろうけれども、それを受け入れることができるのは自分だけであるし、いったん受け入れて変えていけるのも自分だけである
全てを受け入れる強さなど誰も持ち合わせてはいないだろうけれども、それを受け入れることができるのは自分だけであるし、いったん受け入れて変えていけるのも自分だけである。
現状を受け入れてフィードバックしていく強さを持つことが、今できる最善のことである。
私の好きな言葉はやっぱり、バカボンの「これでいいのだ」なのだ。
赤塚さんも寺で過ごした幼少期があったからこそ、彼の素晴らしい作品があるのだと思う。
自分の弱みであると思っていたことだって全ては捉え方次第。
現状に感謝し、それが苦しくてつらいものであったとしても受け入れてそこから行動に移すことが、しなければならないことなのである。