過去からは何も学べないと思っている人もいるのではないでしょうか。
実際に私自身もそう思っていた人間の一人です。
歴史が好きでもないのに、センター試験で日本史選択をし、その当時の私にとっては最悪でしたが、今考えれば最高でしたけど。
歴史と聞くと戦国時代などが人気で実際に多くの小学生や中学生にとって思いつく歴史上の人物は戦国~江戸時代あたりの武将の名前があげられるように感じる。
しかし私は近代史が好きでした。近代史には興味のある科学技術の発達により過激化した戦争のことや、その時の総理大臣の考察力など多くのことを学べるのだ。
そして同じく並行して科学史を学んでいくと、楽しくて仕方ない。
歴史上の人物がもし今の科学技術を持っていたら・・などと考えると、これは空想の世界でしかないがどんな推理小説よりもスリリング。
そして、今現在、かつて多くの天才たちが偉業を成し遂げてくれたことに感謝し、その恩恵を受け、今の自分の人生を迎えられているのだと考えると、現時点で自分は本当にラッキーだなと思わざるを得ない。
どれだけ過去の偉人が今を生きる私たちのことを羨んでも仕方ないのだ。
それくらい、今を生きることには価値があることである。
もし今この世界のどこかに尊敬する人がいるとするならば、たとえ会うことができなかったとしてもすごく幸せなことなのだ。その価値に気づいていない人が本当に多いように感じる。
尊敬する著者が提供する言葉・本を私たちはリアルタイムで見ることができる。他人と比較する割に、狭い範囲で比較して有頂天になっているプアな人を見ていると助言したくて仕方なくなる。
自分の横の人と比較して何になるのか。
そもそも比較というものは2つ以上のものの異同(相違)について考えることである。決して順位づけをすることではないのだ。
やたら身近な人と比べるようなことをしている学校教育が間違った方向へと進めていると言わざるを得ない。自分の横の人にある特定の分野で勝ったからなんだというのか。その愚かさに早く気づいてほしいと思うのだ。
話は戻るが、最新技術がある中で一般人もその恩恵を受けることができるこの現状に、私たちは感謝し、自分にできるベストを尽くすということに集中しなければならないと思っている。
過去を生きた人たちが一生かかってできることがほんの数秒で可能になるような時代だ。私たちはもっと行動しなければいけないと思うのだ。私たちにはその責任があると思う。