新しい環境に行くと人間関係に悩むことが多く、つい他人と自分を比較してしまうことがあるでしょう。
私が大学生の頃に中学生の生徒によく言っていた言葉を当時の友人にも伝えたらしく、そのことを先日のオンライン会議の際に一番大事にしている言葉であることを告げられた。
改めて自分が言った言葉と向き合うことができたように感じる。
他人と比較した時点でお前の負け
なんとも言えない、あっけらかんとした言葉である。
当時の私のお口の悪さがにじみ出ている。いや、正直今も変わっていない。
大学生になった私は自慢ではないがいい成績をとっていた。
大学入試のような幅の広い戦いではなくなっていたからだ。
高校生の頃は比較して順位がつくことで競争心を燃やしていたような気がする。しかしそれはいい意味での競争だった。お互いに高めあえていることを理解した上での競争心だった。
アイツがいるから頑張れる。そういう気持ちだった。感謝・尊敬の念も併せ持っていた。
しかし大学に入るとなんだか嫌なものをみるような感じだった。
それはおそらく、結果がお金に直結しているようなそういう学生としての最終段階にいるからであったのだろうか。
そこから他大学との交流に力を注ぐようになった。他の大学の生徒を見ていると自分のちっぽけさを知ったのだ。その日、つい他人と比較してしまっている自分に気づいた。この感覚がたまに見る中学生同士のなんとも言えないテストの点数の比較なのか。悔しい。次は負けないぞというようなものではなく、単なるマウントの取り合い。人の点数を聞いて自分の点が良かったら納得する奴。あれを見るたびにどうやって止めればいいのかといつも思っていた。
その時に私は、
自慢したいんやったら100点とってからにしい。
と言っていた。また、悪い点の子を目の前にして、95点をとって全然あかんわと言っている生徒に向かって、
ほんまやなあ。100点じゃないのによう言えたな。
と言って何度か塾長に呼び出された記憶が今も鮮明に蘇る。
生徒同士の会話を聞いているときにどういう反応をしたらいいか、すごく難しいものである。
このままでは、その状態になる度に私は悩むだろう。もう今日決着をつけよう。その夜、とにかく考えた。
そして出した答えが、
比較した時点でお前の負け
である。
比較というものは
①何に関して比較するのか
②誰と比較するのか
によって結果が変わる。
にも拘わらず勝手に自分で①②を決めて話しかけてくる奴はヤバイ奴なのである。
たとえ一つの分野であったとしても1番になれるものでもない。つまり、比較をすれば誰だって負けてしまうのだ。
にも拘わらず比較をしてしまうというのは実に愚かな行為である。
こうして、次の日、塾で私は生徒に向かって、
比較した時点でソイツの負けやからなといい放ったのである。
親御さんからのいろいろなご意見はあったが、私はいまだにこのスタンスを変えていない。
私が比較するのは常に昨日の自分でしかないからだ。
昨日の自分よりも一歩前に。やれば着実に前進できるから目標も達成できる。ただやるか・やらないかだけである。
友人が、あの言葉は今も私の座右の銘やねん。と言っているのを知り、無駄なことで心を消耗する生徒たちを減らしたいと思うのである。
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