気候正義という言葉をご存じだろうか?
climate justice
という言葉を目にする機会が増えたように感じる。
今まで、科学系統の冊子の中ではよく目にするものではあったが、近頃、経済紙などでもこの言葉を目にするようになった。ひょっとすると本当に世界が変わるかもしれないと思た瞬間だった。
多くの人にとっては最近の関心はやはりコロナが一番大きなものだろうか。
中学生の国語の教科書の中に、バーチャルウォーターの話が取り上げられ、毎日毎日を必死に生きている大人たちよりも寧ろ子どもたちのほうが先を見据えているのではないかとも思ったりもする。
皆が同じ方向を向いていても仕方ないので理想の形ともいえるのではないだろうか。
先進国の富裕層が恩恵を受け、国ごとに目標値を定め、あらゆる環境政策が行われる中、実際にははかりきれていない部分があるということ、また、実際に自然破壊に加担した先進国の人々はいざ、何か自然の恐怖にさらされた時には、グローバルサウスの人々がいち早く甚大な被害を被るのである。
これは、富の収奪以外の何物でもないと痛感させられる。
今まさに、理論上合理的かつ理想的である資本主義が崩れようとしている。
もちろんもう少し先の話である。
その世界を見てみたいと思うと共に、その中で自分はどう振る舞うのかを、一人ひとりが考え続けなければならないだろう。