わからないということ

分からないことが見えるということは

勉強をしていると必ずでてくるのが、わからないこと。

わからないことが出てくるのは、勉強している時である。

勉強していないときにはわからないこともわからない。

高校生になって、あんなに得意だったはずの数学が難しくなり、理解できない自分がとてももどかしかった時に、中学の頃の先生が私に教えてくれたことを今日は紹介したいと思う。

数学のことを知り尽くしていると思っていた先生が、私に言った言葉は、

「僕だって、まだまだわからないことばかりだよ。」

その時の話を再現できる限り再現してみたい。

知識領域を表す簡単な図を提示してみよう。

字が汚すぎる件については、さておき、自分が知っている場所が、○の部分。

外側の領域が知らない部分だと思っていただきたい。

学校教育の勉強の過程においては、分断されているものというのはほぼなく、丁度、赤のギザギザの部分が、個人個人が見えている、まさにわからない部分である。

そしてそこを理解すると、どうなるだろうか。次の図に移動しよう。

上記のように、知識が増えると、既知領域の円は大きくなり、また、境界である、赤い円の部分が「わからないもの」として認識することになる。

以上のように、知れば知るほど、わからなくなるというのは、当然に起こりうることである。

知っている領域が広くなればなるほど、外部との境界面は大きくなり、その分、何をしているのかわからなくなってくるというのも起こりうるだろう。

つまり、わからないものが出てきた時に自己の成長を感じてほしいのと同時に、どこまで行ってもまだ先があるということである。

当時、いつか、全てを理解できると思い込んでいた私は、恩師のいわんとすることを漸く理解できたような気がした。

私たちはどこまで行っても全てを理解することはできない。

寧ろ、全部を理解できると思っていること自体が傲慢でありすぎるということ。

そして、この円を大きくするのもそのままにしておくのも各自の自由。

目の前には常にわからないものがあって、前に進んでもいいし、進まなくてもいい。

前に進めば進むほど、その境界は膨張し、いつも自分がわからないことに包まれているようなそんな気がしてくる。

しかし、それが正常であるということ。

そして、私はその円をこれからも広げ続けていきたいなと思う。